毒親エピソード 1 〜毒親と連絡を取らなくなった経緯〜

私が毒親と連絡を取らなくなった経緯について紹介したいと思います。


毒親の携帯への執着

私の母は、過干渉の傾向が強いです。

昔から私に対してだけではない異常な一面があったので、精神的に拗らせているのだろうと思います。

これから紹介するエピソードに直面している当時、母の行動は「娘を支配する」ことが目的だと思っていました。

最近は、<目的があるから行動する>のではなく、<行動をしなくてはいけない>ということ自体が目的になってしまったのではとないか?と思うことがあります。

「娘を自分の籠の中に閉じ込めたい<目的>、娘の邪魔な交友関係を壊そう<行動>」だったのが、本人も気づかないうちに、どうしてかもわからず「娘の交友関係を壊さなければ<行動=目的>」になっていたのかもしれないと。

他の要素ももちろんあるので、そういう一面もあったのかもというくらいの話です。

毒親は外面がいい人が多いなんて話もありますが、私の母はとにかく自分以外に攻撃的で否定的な人でした。

だから余計に私の「交友関係」に執着していたのか、私の「情報(=弱み)」に執着していたのか、疑問でした。

そんな時に思い浮かんだ一つの仮説です。


前置きが長くなりましたが、携帯にまつわるエピソードを、連絡を減らしていく過程が伝わりやすいように書きました。

親からの連絡に違和感を感じているあなたの参考になれば幸いです。

高校生の頃

私は、中学生が1割くらい、ほとんどの子が高校入学時には携帯を持っていた世代です。

紆余曲折ありましたが、私も高校入学時にはなんとか持たせて貰いました。

高校以前から、母は持ち物への干渉がひどく把握していないと気が済まないようでした。

机やタンスの引き出しの中はもちろん、通学カバン、財布、筆箱、生理用品のポーチ、ゴミ箱も対象でした。

携帯を持つようになると、当然、干渉の中心になりました。

何度か友達から、不審な連絡があって困ると相談を受けたこともあります。

母が私の携帯からデータを抜き取って、友達へ嫌がらせのメールをしたことは数え切れません。

そんな時には一時的に母にメールが送れないことも度々ありました。

母が嫌がらせのメールを送る時は、一時的にメールアドレスを変更します。

一応証拠を残さないための方法なんでしょう。

内容についてはただの言いがかりです。

何度も何度も、定期的にデータを抜き取っているようでした。

独身時代

働き初めてから数年は実家で暮らしていました。

その頃は待ち受け画面にロックをかけられる携帯が出ていました。

携帯自体はロックできても、SDカードを使って携帯の容量を上げたり、バックアップを取る仕組みだったため、時々SDカードを持っていかれてデータを抜かれていました。

成人もしていましたし、契約の名義も私自身、料金も自分のお給料から払っています。

子供にもプライバシーはありますが、当然無視されてきました。

とはいえ、この携帯の契約や支払いの状況はどこにも付け入る隙はないはずです。

それでも、指摘すると「親だから当たり前」といってみたり、「やっていない。証拠は?」とコロコロ対応が変わりました。

「親だから当たり前」と言われた時には追求しましたがそれ以上の答えは返ってきませんし、どれだけ抗議しても止まりませんでした。


結婚してから

結婚して一緒に暮らしていないので、もうデータは抜けません。

そのために新しい方法を考えたんだろうという以外に理由は思いつきませんが、行動パターンが変わりました。

<パターン1> 私の知り合いを装って、私にメールをしてくる

最初は迷惑メールも疑いました。

何度かそんなメールが来た時に、メールを受信した直後に母にメールを送りましたが送れません。

そのメールへの返信はできました。

そのメールアドレスを受信拒否してしばらくすると、母へメールが送れるようになります。

母の行動の目的ははっきりしません。

考えられたのは、そのままメールを続けたとしたら、

  • 夫の事を知っていると言い出し、悪く思う事を言って夫との仲を悪くする
  • 夫に不倫しているんじゃないかと誤解させて、仲違いさせる

どちらにしても、夫との仲を悪くして、あわよくば離婚させたいという動機かなと思います。

<パターン2> 夫へ干渉メール

夫婦の話、子供の話などで、私から詳しく話を教えてもらえないと、夫の指示だと決めつけて夫へ文句をいうメールがよく来ました。

夫は内容を見て、母に答える必要がないことには反応をしません。

暖簾に腕押しですね。

さらに母からすると当初から気に入らない相手だったので、これは早々になくなりました。


まずメールを受信拒否

第一子を出産後、子の成長について不安を煽るようなメールが頻繁に来るようになりました。

第二子の出産を控えていた時に決定的な事が起きました。

第二子の出産について母にお願いをしました。

出産が夜間になった時と、その後の入院中の夜間だけ母に上の子を預かってもらいたいという内容です。

その当時、夫は夜勤もある不規則な仕事をしていたりといろいろな事情からその方法を考えて、母にも説明してお願いしました。

それに対して「私が出産に立ち会わなくでどうする。夫に上の子を見てもらえばいい」と返されました。

それも諭すような口調で。


馬鹿なことをいう娘を正しい方へ導いているというつもりだったのでしょう。

内心では自分が一番でないと気が済まないという思いもあるでしょう。

気に入らない娘の夫を排除したいという思いもあるかもしれません。

でもそれと同時に、本当に、自分が出産に立ち会うことが最善の方法だとも思っています。

娘を正しい方へ導く母親の仕事をしなくてはいけないと思っていての行動なのです。

体裁のいい理由も確かに存在しているため(割合は少なくても)、それを大義名分にして押し付けてきます。

これが毒親の厄介なところです。

この辺りの毒親の考えについては、また別の機会に詳しく書きたいと思います。


事情も全て無視して、なによりも優先した内容が、『自分が立ち会う』だった事に驚きすぎて何も言い返せませんでした。

畳みかけるように「出産は命懸けであって、緊急手術になったら夫に判断される、それでいいのか。私(母)しかそれは決められるわけがない」と言われた事も鮮明に覚えています。

「そんなこともわからないの?死にたいの?」と。

それまで、母はおかしいと思いつつも結婚して家を出ていけば、自分の家庭でやっていけば、訴えかけ続ければ、母の干渉も穏やかになっていくかもしれないと思っていました。

でも、そんな事は絶対ありえないと思いました。

今後どれだけ頑張っても絶対こない未来だと気づきました。

それまで漠然とでしたが、この時に、もう連絡を取るのをやめたいと明確に感じました。


妊娠中のネガティブなメンタルがベースにあったことと重なり、この後しばらく落ち込みました。

夫に相談して、まずは理不尽な要求や距離なしのメールには返信しないでおこう、返信しない不安にかられたら夫が絶対に止めると協力してくれることになりました。

それから出産まで2ヶ月程の間、相変わらずのメールが来続けます。

初めは、返信していないととてつもない不安にかられ、そわそわして落ち着きがなくなっていました。

お昼にメールが入ってもそわそわした時間は寝るまで続くくらいでした。

1時間おきくらいに「やっぱり返した方がいいかな」と夫に言ったりもしました。

その度に夫が、「返さなくて大丈夫だから」「私の主張は間違ってない。でもそれを母親はわからないから仕方ない」「喧嘩にならないために返してないだけだから」と言い聞かせて、落ち着かせてくれていました。

何度かは送った『つもり』として、返信する文章を作り、『送信したつもりで保存』をしたりもしました。

段々と、返さなくても不安に思う気持ちが小さくなり、落ち着かない時間が減っていきました。

出産間近には、病院に向かう時も、生まれてからもこちらからは連絡しない。

運悪く、病院に向かっている途中に連絡がきた時は無視しようと。

生まれた後に連絡があったら言えばいいと思えるくらいになりました。

出産後は、メールがきても「ふ〜ん」と流せる程度になっていました。


産後1ヶ月頃、そんな私の反応が気に入らなかったからか、干渉メールの文面が露骨になってきました。

返さなくても見るのもうんざりと思うようになり、母に「非常識なメールを送ってこないで欲しい。続くようであればメールは受け取らないようにする」と意思表示しました。

それに対しても罵倒されるので、件のメールについて私がおかしいと思う点を書き上げ、それについてどう思うかと聞きました。

例えば、母からのメールに「△△(子供)の事は私(母)が決めるのは当たり前」という文面がありました。

言い分がおかしいと、どうしてあなたが決めるのが当たり前と思うのかと聞くと、親だからと。

なので、「あなたは△△(子供)の祖母であって親でないと、あなたの理屈で言うなら△△の事は私と夫が決めるのが当たり前ということになる」と説明しました。

理解できないのか、理解したくないのか、「親を邪気に扱うな」と怒っていました。

当たり前ですが、全く噛み合いません。

その直後に、自律神経の影響で私の体にも不調が出てきました。

それでも母親からの連絡は相変わらずでした。

体調がよくないので連絡を控えて欲しいと伝えましたが「親失格」と言われました。

母のアドバイスを受けて子育てできない、乳児がいるのに体調をくずすことが「親失格」だと。

また、自律神経の影響で浮腫の症状も出ていたのですが、「子を産んだ後に痩せないなんて、楽しすぎだ」「どうせ何もしてないんだろう」とは言われても病状について心配したような内容はありませんでした。

祖母にも伝えたようで、祖母からも連絡が来て「なさけない」「母親を泣かせるな」と怒られました。

母と祖母は未だに、”祖母が母で、母が子供として2人で親子” というのが基本です。

それも共有する話題や問題などは、小学校低学年くらいの子と母親のようです。

祖母と伯母達はこんな距離感ではありません。

あくまで母との関係だけが歪です。

母はその関係を心底好ましく思っているからなのか、時々私にも強要しようとしてきます。

今回は私が敵、それが彼女たち親子の危機だったのでしょう。

子供が困っているから母親が出てきて、その敵に対峙しなければいけないのです。

普通なら、母親がその状態で子供の世話が行き届いているかを一番に心配すると思いますが、彼女たちに取ってはそんな事は二の次です。

この瞬間、母のことが本当にどうでも良くなって、メールを受信拒否しました。

この行動は衝動的だったと思います。

今振り返ってみても、計画的でもなく、「あ、もういいや」と思うと同時に無意識に設定していたという感じです。


次に着信拒否

メールを見なくていいという状況はとても快適でした。

あのまま何もしなければ、体調面がもっと悪くなっていたと思います。

しかししばらくすると、メールできない分、電話の回数が増えたり、長電話になりはじめました。

手が空いたら折り返すと伝えても話続けられたり、タイミング、内容ともにこちらへの配慮はありません。

こちらにも都合があるという意思表示もかねて、電話はかかってきても出ずに、さらに数回に1回程度折り返すようにしました。

メール拒否の過程でメンタルが鍛えられていたため、不安に思うことはなく、どちらかというと煩わしいと思うようになっていました。

おかいしと思う内容や過干渉なことについては、「それは私には理解できない」「それについては私が考えることだからもうアドバイスはいらない」と伝えるようにしました。

それもメールの時と同じで気に入らないようで、「親をバカにした」「言うことを聞かないのは旦那の差金」など、電話機の音が割れるくらいの声量で叫ばれ続けることも度々ありました。

もう本当にうんざりでした。

この時期に電話を控えて欲しいと伝えました。

「あなたはアドバイスをしているつもりと言うが、私が従わないと納得しない。でもおかしいと思うことまで私は受け入れられない」だから、電話が無駄だと思うと説明もしました。

母が悪いとは言わず、「どちらが悪いと言う話ではなく、それぞれ考えが違う、それぞれのしたいことが違う。噛み合う点がない」ということだけを伝えました。

そして、電話も着信拒否にしました。

このころはメンタルも落ち着いていて、着信拒否にしてからは開放的な気分でした。


着信拒否された

母の携帯はメールも電話も拒否。

祖母は携帯を持っていません。

親戚付き合いも母のおかげでままならない状況でしたので、冠婚葬祭の連絡用に実家の固定電話は着信拒否にはしていませんでした。

それは母と祖母にも伝えてありました。

それだけでも連絡はかなり減りました。

ある時、数年前に私が実家に置いたままになっていたトランクケースがなくなったと電話がありました。

滅多に使うものでもないですし、取りに行くために顔を合わせるのも嫌だと思っていたので、置きっぱなしは申し訳ないですが「なくなったのなら仕方がないから探さなくていいよ」と伝えました。

それなのに、夫が盗んだと根拠のない話で罵倒が始まりました。

証拠もないですが、そこを話題にしていても仕方がないと思い、「私たち夫婦のミスでなくなったのならなお仕方ないから気にしなくていい」と伝えても止まりません。

それ以降も何度も電話がかかってきたり、祖母からも電話が入りますが、全て夫を罵る内容でした。

1週間ほど経ってからでしょうか。

「倉庫の奥の方にあった」という連絡だけがきました。(会社のメール宛て)

施錠されていない場所ですが、夫は絶対に入らない場所でした。

勘違いや夫への罵倒に対して謝罪は一切ありません。

そんな連絡はしてきていたのに、伯父の葬儀の連絡がありませんでした。

母の行動に理解のある叔母から、葬儀の数日後に、もしかしたら知らないのではと連絡をもらい初めて知りました。

母の携帯を着信拒否してから、叔父より遠縁ではあるが何人か知らないまま葬儀が終わっていることもわかりました。


トランクケースの話は、 ”娘の物(=自分のもの)がなくなった” ことが気に入らないから納得いくまで連絡してきました。

謝罪はしたくはないが、見つかった喜びを分かち合えれば関係の修復になると思って、報告の連絡はありました。

伯父の葬儀は、”自分が祖母を介護しているアピール” ができればいいので、私の存在はどうでもいいのです。

だから連絡しなくても平気なのです。

全て推測ですが、毒親育ち特有のもので、遠からず的を得ているはずです。


一応過程を踏むためという目的が大きですが、母にどういうつもりか聞きました。

母は、”私が知っている=誰か親戚に聞いた”という点に注目してしまったようで、それならそっちから聞けばいいと話をすり替えてきました。

さらには「つうつうなんだろ」と言われ、「あいつらと一緒でおかしい」と。

そして「親には不義理なくせに、死んだ人間に礼儀を払うのか。馬鹿らしい」と言われました。

今後もそう言う対応なのかと聞いても、まともな返事がありませんでした。

一度は電話をそこで終わらせたのですが、香典の建て替えをしていないか確認を忘れたので固定電話にかけなおしました。

すると、固定電話に着信拒否されていました。

嬉しいような、虚しいような、なんとも言えない気分でした。

母の携帯はこちらから拒否していて、母は知っています。

固定電話はあちらが拒否しました。

祖母はその操作はできないので、着信拒否になっていることを知っているかもわかりません。

話したければ自分のところにかけてこればいいという思いで固定電話で拒否したのだと思います。

それでも ”順序立てて” ”普通” に考えれば、折り合いをつけるつもりも最低限の付き合いをするつもりもないという意思表示だと取れます。

もうここまでくると呆れすぎてしまって。

こんな駄々っ子のようなやり方には付き合ってられません。

母の携帯から電話もメールも繋がらなくなって、年に3回くらいの頻度で会社のメール宛に、叔母たちの協力を断ってしまったがばかりに一人でやるはめになった介護の協力要請や、孫との対面要求がきていましたが、それもなくなりました。

このおかげで、当面(今までよりはかなり長いスパン)連絡はこないだろうと思い、そのまま状態の携帯を現在も所有しています。

メールも電話も繋がりようがないですが、もし次に冠婚葬祭以外のことで連絡がきたら、次は番号ごと変える予定です。




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